歯科技工士 大曽根慎也
インタビュー記事
大曽根 慎也とは
23歳で新東京歯科技工士学校に入学。卒業後はインパラーレで 4年、ナチュラルセラミックで2年勤務後、平井歯科医院の院内 ラボに勤務し、現在9年目を迎える。
自分がやりたい仕事を見つけたい
高校卒業後、大曽根はやりたいことが見つからないとアルバイトに勤しんでいた。「それはそれで充実していたのですが、長い目でみた とき、改めて将来を考える必要があると思いました」だが、当時は未だ就職難と言われる時代。将来的にもなくならない職業ということで医療系と教育系に絞り、そこから歯科技工士という仕事を知った。
それから1年間学費を貯めて23歳のときに新東京歯科技工士 学校に入学する。「小さな意地ですが、現役の同級生には負けまいと相当に意気込んで学校に通っていました」
またこの当時、学校の図書館で手にしたQDTに掲載されていた高橋健氏(Smile Exchange代表)の記事を見て、自分がイメージしていた歯科技工士の仕事を、はるかに超えるレベルの仕事内容に感銘を受けたこと を今でもはっきりと覚えていると語る。
さまざまな環境の中で
栗本先生との出会い
年齢的にも将来への不安から歯科技工士になったという経緯もあり、就職先は社会保険に加入していること、家から通える距離であること、それでいて自費のケースが多いこと、という3つの条件で探した。
そうして就職したのがインパラーレ(栗本徳幸代表)である。
勤務1年目から自費のケースも製作させてもらい、大学病院の仕事で大学に在籍する歯科医師から直接指導を受ける機会や、インプラントケースを担当させて もらえる機会も多く、さまざまな経験をすることができた。現在の臨床のベースはこのときに培われたと振り返る。「もともと自費のケースはじっくり時間をかけて製作するイメージがありました。ですが、時間をかけて作品を作るのではなく、仕事として技工物を作るという感覚を栗本先生から教えていただきました」
それだけではない。栗本氏からは歯科技工士として以前に、社会人としての在り方を教わった。学校を卒業してから最初に就職したのがインパラーレだったことは大曽根にとって幸運だった。多少勤務時間が長くなるときもあったが仕事は充実しており、大変だとは思わなかった。
だが、大曽根には開業前にさまざまな職場環境を経験したいという目標があり、勤務前から数年間で転職しようと決めていた。25歳で入社して4年間在籍したが、30歳を目前にして新たな環境を探すことに決めた。
今度は自分の能力を高めていくタイミングだと感じていた大曽根は、セラミックを一から学びたいと考えた。インパラーレでもセラミックは盛っていたが、写真を見て天然歯を模倣するような仕事まではしていなかったからである。就職先を先輩に相談したところ紹介されたのがナチュラルセラミック(上林健代表)だった。
入社して最初に驚いたのが上林氏の仕事量だった。講演や執筆活動に追われながらも発表するケースにだけ時間をかけているわけではなく、すべての臨床ケースを高いレベルで、しかも効率良く製作していることに衝撃を受けた。
ナチュラルセラミックの仕事は上林氏に製作してほしいと依頼されたものであり、在籍期間が2年間と短かったこともあって大曽根が臨床ケースでセラミックを製作する機会はなかった。とはいえ、実際の臨床写真からサンプルを製作しつつ上林氏から指導を受けるなど、セラミックを一から学びたい大曽根にとっては悪い環境ではなかった。何より直接的な指導だけではなく、上林氏の仕事に対する姿勢、歯科医師と接する姿を見ているだけで勉強になった。
「たとえ中切歯単冠でも反対側の天然歯とまったく同じように作るだけでなく、さまざまな条件を考慮して歯列としてバランスを取って自然に見せることが大事だと教わりました。当時は理解できず、こういう人が天才なのだと思いましたが、今になってやっと少しずつその意味を理解できるようになってきました」
そうして上林氏から学び、セラミックに対する理解を深めてきたが、大曽根はさらに新たな環境に飛び込むことを決める。これは歯科技工士として仕事をしていくうえで、開業前に歯科医療の最前線である歯科医院での仕事を経験しておくべきだと考えていたからである。
そして、知り合いの伝手で紹介されたのが現在も勤務している平井歯科医院(平井基之院長)である。医院としてインプラントのケースが多いこともあり、歯科技工士としてインプラント埋入計画の段階からかかわったり、それ以外のケースでもコマーシャルラボ時代より歯科医師や患者とコミュニケーションを図る機会が増えた。「院内ラボで勤務して、平井院長、勤務医の先生、歯科衛生士さん、それ以外の医院のスタッフ、全員で一緒に歯科医療を行っているということを実感しました」
気づくと平井歯科医院に勤務して9年目になっていた。もともとここまで長く勤務しようとは考えていなかったが、歯科医療の最前線で仕事をしている充実感の高さから、時間はあっという間に過ぎていた。